Gerateria SINCERITA

Blog: ジェラートマイスターのブログ

いつも、ジェラートのことを考える。
いつも、どうすればもっと美味しく作ることが出来るか考える。
そういうプロセスが大切だと思うから、少しだけ書き連ねていこうと思う。

どんなメディアよりも、自分の言葉が一番しっくりくるものです。
ちょっとしたお知らせとか、ちょっとした思い付きとか、
自分の言葉で伝えたいことを
ゆるりとお伝えしようと思います。


おいしいはまぼろし。

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画像:おいしいはまぼろし。

料理人だってパテシエだって、食に関する人みんな「おいしいとはどういうことか?」ということをひたすら考える。たぶん。
僕もまたいつもこの「おいしい」ということに悩まされる。
考えて、悩んで、作って、食べて、また悩む。

そんな時に、いつもジェラートの写真を撮ってくれている写真家の方と話していて、「この前撮ったジェラートの写真を現像したら驚いた。」という話をされていて、要は美味しそう!と思って接写した写真を現像したら全然美味しそうでなくて驚いた。というようなことだった。

「でも、現実ってそうなんだよね。」とも言っていて、可愛いも美味しいも結局、離れて見たら可愛く見えたり、美味しそうに見えるけど、近くで見たらそうじゃないと言うことも往々にしてある。
ジェラートを顕微鏡で見て、美味しそう!って思う人はいないように。
結局は、主観的で、偏見的で、それらを総合的に評価して、美味しそう。となり、それが実際の食べた時の「おいしい」にも大きく影響する。

「おいしい」は情報でも評価でもなくて、体験であり経験だ。思い出のおいしいは、すごく美味しい。と思ってしまうように、「おいしい」は幻みたいなものだとも思う。

じゃあ、純粋な「おいしい」ってなんだろう?
と考えた時に、ブラインドで食べ比べて美味しいものが真に美味しいものだ!と思うかもしれない。何も聞かされず、何も見えず、ただ自分の口に放り込んで味わう。それが純粋な美味しい評価かと考えると、それはやっぱり不自然で、むしろ怖くて心から美味しいと思える気がしない。

そう思えば、「おいしい」は主観的で良くて、雰囲気とか、誰と食べたとか、自分がどんな状況の時に食べたとか、そういう主観的、偏見的な総合評価として「おいしい」があることの方が自然だし、そうあるべきだと思う。
世の中の風潮的にも、いいね!したいし、共感や共有もしたい。だから、それまでもがおいしいに影響する。

でも、僕の個人的な意見としては「おいしい」は思い出と密接に繋がっていて、おいしい記憶は忘れにくい。
この前、商店街のお祭りで「チョコバナナ」を作った。これは思いの外、評判が良くて美味しかったよ!とよく声をかけていただいた。
ついこの週末には「レモンケーキ」を作った。これもまたすぐに売り切れてしまうくらい評判が良かった。
これらの共通することは、「元々知っている食べ物である」ということだ。「懐かしい」もまた、おいしいと密接に繋がっている。

人にもよるけれど、「懐かしい味」というものは、何となく優しいものな気がするし、よく言う「おふくろの味」と言うのも同じようなことかもしれない。

最先端のガストロノミー的なものが「懐かしい味」になる日がいつか来るのかもしれないけど、そうであって欲しくない思いと、そうならないだろうなという予感もある。

懐かしい味はどちらかと言えば、ポジティブに捉えることが多い。
美味しくなかった懐かしい味もあるけれど、後になって懐かしい味と思い浮かべるのはやっぱり良い思い出なのかもしれない。

僕たちは知らない間に日本人としての食経験があって、もしくはDNA的に、馴染む食材や風味が体の中に染み込んでいるものがあって、それもまた影響する。
先の「チョコバナナ」や「レモンケーキ」みたいに元々イメージがある食べ物も沢山あって、それがたとえ悪いイメージであっても記憶しているに違いないから、良いイメージでも悪いイメージでも、本当に美味しいチョコバナナを食べると凄く美味しく感じる。それは、漠然とした食べたことがある味を想像していて、あまり具体的でない記憶の味だからかもしれない。

だから、何かを作る時に、こういう風味は僕たちの体に染み込んでいそうだなという要素を探したり、イメージがある食べ物を探して、新たに作るものに取り込んでいくことはとても大切なんだろうなと最近考えた。

僕は自分のことを忘れて欲しくないと言う願望みたいなものがどこかにあって、お店を始めてからずっと、記憶に残る味であり、お店を目指してきたところがある。
鮮烈に残る味でもお店でもなくて、何か良い思い出であり、ぼんやりとで良いから記憶に残るジェラートであり、ジェラテリアでありたいなと思う。

「おいしい」ってまぼろしみたいに、儚くて、確認するのが難しいものだけど、今じゃなくて、もう少し先、もっと先にふと美味しかったなと思い出してもらえるような、おいしい記憶になるようなものを作っていければなと思う。
そして、それはある程度、意識的に作ることも出来るし、変にストイックに純粋な美味しさを求めています!というようなことでなくても良いんだということを、「でも、現実ってそうなんだよね。」という、ちょっとした言葉からハッとしたような気がする。

作り手として、もちろん自分なりに追求して作り込んでいるつもりなのだけど、「純粋な美味しさ」みたいなものを作りたいというか、作りたいというような姿勢の方がカッコイイみたいな幻想があったのだけど、「美味しいチョコバナナ」みたいな一見つまらないような、懐かしい味とか思い出の味を真剣に作り込んでいくようなことの方が、自分に合っているのかなと思うようになった。

「おいしい」なんて、よく考えると本当にいい加減なものだと思うけれど、誰かの記憶の中に残る「おいしい」は本当に素敵なことだし、そんな「おいしい」を作り出せたら最高に嬉しい。

僕たちはそんな、まぼろしのようなおいしいに翻弄されながら、まぼろしのようなおいしいをこれからも求めていくのだろう。

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