Meister's Blog自分の言葉でお伝えします。

Posted on 03.30.2015 4:13pm

商店街。

田舎育ちの僕にとっては商店街というのはあまり馴染みがない。

イタリアにいた時にいいなと思ったのは、一つのエリアにパン屋さんがあって、肉屋さんがあってチーズ屋さんがあってという風にその地域に根ざした専門店があるということ。

僕たちのお店がある阿佐ヶ谷北は昔ながらの商店街で、ある意味、イタリアのような雰囲気があって、八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、本屋さん、お花屋さん、金物屋さん、煎餅屋があって、寿司屋があるという風に、一通り揃っている。そこにジェラテリアがあるというのはまたイタリアっぽさが出て良いなとも思う。

八百屋で野菜を買って、肉屋で肉を買うというような毎日は楽しいものだ。
ちょっとした世間話をしながら、「ハイ、おつり100万円!」みたいなやりとりが毎日あって、コンビニエントとは正反対の生活がある。少し大袈裟な言い方をすると、商店街という世界の中で生活に関する殆どのことが済んでしまう。コミュニティーがあって、会話がある。商店街というのは、そういう小さな国みたいなようなものなのかもしれないなと思う。

僕たちのお店はたかだか5年なものだけど、100年近くやっているお店も幾つかある。
でも、東京であっても世代交代の難しさ、跡継ぎ問題もあって、ここ数年で阿佐谷北の商店街からお店が少しずつ減りつつある。
本当に寂しいことだけど、こんなご時世だからしょうがないと言えばしょうがないのかもしれない。世代的なこともあるのかもしれないけれど、お店をされている方々は本当に休むことなく、文字通り朝から晩まで仕事をされていて、僕たちよりも働いている時間が長いかもしれないくらいだ。
休む。ということが頭にないようで、生きることは仕事をすること。というような印象を受ける。

そんな様子をずっと見てきたから、僕たちは「お疲れ様でした。」としか言えない。
もちろん、本当はもっと続けて欲しいけど、もう十二分に頑張ってきたし、年齢を考えるとやっぱり続けていくことは難しいというのもよく分かる。それでも、商店街からお店が少しずつ減っていく様は本当に寂しいものだ。

商店街のみなさんは、みんな僕たちのような若輩者にもいつも優しくしてくれる。
今まで商業施設の中でもお店をやっていたこともあったけど、そういう感じとは違う、生きた街の感じがあって、沢山のお店の集積が商店街となっている様を見てきたので、街での商売ということも肌で感じながら今までやって来れた気がする。
大先輩の背中を見ながら、こういった小さな街での商売が出来ていることも本当に有り難いことだ。

時代は変わっていくものだけど、僕たちのように最終的なお客さまと接するお店というのは、それぞれの生活に密接に関わることであって、これまでも、きっとこれからもそんなにお店のあり方というものは変わらないように思う。
だから、目の前に広がる街の空気感みたいなものを大切にしがら、ジェラテリアというお店を続けていければなと思う。