Meister's Blog自分の言葉でお伝えします。

Posted on 01.18.2016 1:52pm

想像の像。

せっかくの1週間のお休みなので羽を伸ばそうと思って、日光に行ってのんびりして、伊澤くんのところに行って苺を見てきました。

ずっと休まず営業していたので、初詣も行けてなかったので遅ればせながら初めて日光東照宮にお参りしてきました。
ちょうど申年で年男というやつでタイミングも良いかなぁと思ったのと、「想像の像」が前から気になっていたので見てきました。

「想像の像」というのは、東照宮の三彫刻の一つで、他の有名な彫刻に比べるとあまり人気がなさそうな感じもしますが、僕は一番気に入りました。
日本に像が入っていない時代に伝え聞いて、ゾウというものを想像して描き、彫刻にしたもので想像の像と呼ばれているそうです。狛犬みたいでもあるけどちゃんと像の姿になってますね。

今の時代は何でも検索したら画像も説明も出てくるし、レシピだって出てくる。何か質問があれば、答えがすぐそこにある。便利なものです。絵だって、味だってコピーし易い時代とも言えるでしょう。

もちろん、便利で役に立つことが多いのも事実だし、逆にプロセスが抜け落ち易くて想像するということが欠けてしまうということもあります。
僕みたいな偏屈な人間は、今みたいなモノも情報も多くて、近道が多いよりもああでもないな、こうでもないなというような遠回りをしていく方が好きなので、こういった便利さはマイナス要素も多いなと思っています。

でも、昔の方が良かったとか、今の若者は。みたいな言い方は好きじゃないし、世界は逆方向には進まないと思うから、より便利で、より早く答えが見つかる社会に進んでいくのだろうと思うし、それはそれで受け入れるしかないんだろうと思っています。

そういう社会である。という仮定で、例えば僕のように食べものを作るような仕事して、お店を構えていると、いろんな意味で想像との戦いみたいなことがよく起こる。

まずは味について。

不思議なもので、例えば「苺」の味を想像してください。と言うと、みなさんそれぞれの苺の味であろう味を想像できる。でも、それはあくまで「あろう味」で、人によってはあまおうの味だったり、苺ジャムの味であったり、苺味のお菓子の味だったりするかもしれない。
僕たちは苺の味を共有しているようで、完全には共有できていない。それでも、味覚と記憶はどこかで繋がっていて、僕とあなたの苺味はピッタリ同じという訳ではないけど、重なる部分がだいたいの場合はあるのだろうと思います。

糖度がどれくらいで、phがどれくらいでという数値的なことと言うよりは、イメージとしてそれぞれの記憶に残っているのだろうと思うと面白いものです。

昨年末にも少し書いたような気がしますが、僕を含めてたくさんの人がイメージするであろう苺の味を考えて、例えば酸っぱさとか甘さとか香りの重なる部分を想像して、その重なるであろう風味を程よく強調したものを作ることができれば、ちょっとした驚きと共に美味しい!と感じるのかなぁと考えています。

その重なるであろう味覚の部分を考えるのも難しい。時代性、世代性、流行りみたいなものも加味されるから尚更難しい。
味というのは基本的には絶対的に美味しいというものはなくて、相対的に何かと比較して評価するしかないから、自分が経験したことのある味と比較して、美味しいかどうかになってきて、結局は食べる側も経験と想像を比較して判断するんだろうと思う。

でも、僕にとってのいつもの自分に対しての質問「何が美味しいのか?」ということを考えるのと同じ意味で、自分以外の人が想像するその素材やフレーバーについて想像を巡らせるのも今後もずっと続くんだろう。

そして、お店について。

今は良くも悪くも、本当にたまたま通りかかってお店に来た。ということが少なくなったように思います。
ちょっと検索すれば、そのお店の情報が載っていて、点数化されていて、口コミが書いてあるから、全くゼロの状態でお店に行くという人が少ないだろうと思います。

あの人が美味しいと言っていたとか、そういうリアルな口コミもそうだし、そういったことは昔からあるにしても、今はもっと点数化されているから、あのお店は点数高いのにそうでもなかったとか、点数低いけど美味しかったとか、そういう偏見に溢れている。

だから、お店に行く前から何かもう自分の中でそのお店について、そのお店のサービスや味についても想像しているものがあって、その想像を超えるか超えないかみたいな価値基準が自然と湧いて来るのだと思います。
僕たちお店側からすると、そんな勝手なイメージを持たれてしまうのは嫌だなぁと思う部分もありますが、そういう時代だし、それはそれで良いこともあるし、これもそういうものだと受け止めてお店をやっています。

想像の像の話から話がそれてしまいましたが、その昔、狩野探幽が像を想像で描いたように、僕も何かをヒントに想像しながらジェラートを作っていきたいな。というようなことを考えながら、日光東照宮を後にしました。